どうも皆さんこんにちは学生ブロガーのマロころです
みなさんはいかがお過ごしでしょうか?僕は最近暑いのであんま外に出ないで
家で読書したりスマホいじったりしています 30度越えも当たり前になってきたので
こまめに水分補給をするようにしましょう
こういう時期でも長袖長ズボンの冬みたいな格好してる人ってなんで
この暑さを耐えられるのか時々疑問です
もしそういった方がいたらこの記事の1番下までスクロールしてコメントして
教えてくれると嬉しいです
今回は古代ギリシアの後編ペルシア戦争からギリシアの衰退まで書きたいと思います
ぜひ最後まで読んでください
ペルシア戦争
アケメネス朝ペルシア(ここからは略してアケメネス朝、だけどたまにペルシアとも
書くよ、アケメネス朝もペルシアも同じ意味)の支配下にあった小アジア
そんな小アジアの中にあったギリシアの植民市(もとは民主政)の人々は
アケメネス朝の専制政治(リーダーが大体のことを決めていく政治、個人の自由や権利が
あんまりない)に耐え切れずアテネの支援をもらい
アケメネス朝に反乱を起こします(イオニアの反乱)
この時のアケメネス朝の王はダレイオス1世
アテネは反乱勢力の後押しをやめませんでした ダレイオス1世はこれにブチギレて
前492年にアテネに向けてペルシア艦隊を派遣しました
が、ペルシア艦隊は途中で暴風雨に遭い、そのまま何もすることなくペルシアに
引き返します
ですがペルシアもこんなことではあきらめない、
ギリシアに向けて攻撃を仕掛けます アテネはもうアケメネス朝と戦う気満々でしたが、
アテネ以外のポリスでは「アケメネス朝と戦おうぜ‼」と主張する交戦派と
「いや~アケメネス朝と話し合って平和に解決しようよ~」と主張する親ペルシア派が
激しい論争を繰り広げていました アケメネス朝はその混乱に乗じて軍を送り込み
エーゲ海の島々を次々に攻略 ついにアテネの近くのマラトンに上陸してきます
ここまではアケメネス朝が優勢です…
が、ここからギリシア側の反撃が始まっていきますよ
アテネはは仲の良いポリスであるプラタイアに協力してもらうことに。
アテネ・プラタイア連合軍は将軍ミルティアデスに率いられてアケメネス朝の
マラトン上陸軍と戦い、見事にアケメネス朝を打ち破ります
これが前490年のマラトンの戦いです
ところでみなさん、マラトンってどこかで聞いたような言葉じゃないですか?
実はこのマラトンの戦いから生まれた非常に有名なスポーツがあります
そのスポーツがマラソンです アテネ・プラタイア連合軍がアケメネス朝に勝利すると、
勝利した喜びを伝えるために重い鎧を背負ったままアテネまで走った伝令がいました
その伝令はアテネに何とかたどり着き、勝利したことを皆に告げると
そのまま絶命してしまいます これがマラソンの起源です
42.195㎞を体一つで走りきる、すごい競技ですよね 僕は絶対無理です
たぶん1㎞ぐらいで力尽きてしまうと思います 話を戻しましょう
マラトンの戦いが終わるとダレイオス1世はこの世を去りクセルクセス1世が
その跡を継ぎます クセルクセス1世もダレイオス1世のようにあきらめずにギリシアを
攻めてきます 山と海に挟まれたテルモピレーで300人のスパルタの兵士が10万人とも
いわれるペルシア軍に立ち向かいますが、スパルタは全滅、スパルタの王レオニダスも
亡くなり、アケメネス朝に敗北しました
アケメネス朝にとってはちゃんとした戦いでギリシアに勝ったのはこれが初でした
危険だと判断したアテネでは女性たちが安全なところまで逃がされました
↑ギリシアとアケメネス朝ペルシアの都市や領土
ギリシアは正真正銘のピンチに立たされてしまいます 面白くなってきましたね~
ですが、ギリシアに1人の英雄が現れます 彼の名はテミストクレス
彼は三段櫂船(さんだんかいせん)を中心とした海軍でペルシア海軍をおびき寄せ、
そこで一気に相手をたたく、という策をとり、アケメネス朝に勝利
シンプルであまり勝てるようには思えません、
さらに言えば船の数もアケメネス朝のほうが多い状況でした
しかし、それでもこの策で勝つことができたのはギリシア軍の掃海術と地の利、
船の性能、双方においてギリシアのほうが優れていたことが大きいでしょう
このサラミスの海戦(紀元前480年)と呼ばれる戦いでペルシア戦争の勝敗は
ほぼ決まりました 翌年のプラタイアの戦いでギリシア軍はアケメネス朝の残存部隊と
それに味方するポリスの連合軍を壊滅させます
これにてペルシア戦争はギリシア側の勝利で幕を閉じることになります
アテネのアクロポリス
休憩タイムです 今回はギリシアの世界遺産の一つである「アテネのアクロポリス」を
見ていきましょう 小高い丘の上にある神秘的な遺跡
それがアテネのアクロポリスですね
↑アテネのアクロポリス
「アクロポリス」という言葉は「高いところにある都市」を意味しています
当時のポリスではアクロポリスの周りにみんなが集住していたとされています
各地にアクロポリスがありますが、その中でも特にアテネのアクロポリスは有名ですよね
「パルテノン神殿」もこのアテネのアクロポリスの一部です
パルテノンって聞くとヨーグルトのパルテノが思い浮かぶのって僕だけですかね
あれってなにがどう「パルテノ」なのか知っていますか?
調べてみたんですけど公式サイトには答えになってない事しか書かれていなかったので
真相は闇の中です 有識者の方がいたら教えてください お願いします
ヨーグルトは腸の環境を整えてくれるので結構体にいいらしいです
小さいころなぜかスプーンでぐちゃぐちゃに混ぜまくって液体にして
「飲むヨーグルト~」みたいにやってた記憶が僕の中でなぜか記憶に残ってます
じゃあ本編に戻っていきましょうか ヨーグルトっておいしいですよね
ギリシアの衰退
アケメネス朝ペルシアという大国に勝利したギリシアのポリスたちはとても大きな自信を
得ます しかし、この時点ではまだアケメネス朝は滅亡していないので、
アケメネス朝がいつリベンジに来るかギリシア側は気が気ではありませんでした
そこで襲撃に備えてアテネを中心とした軍事同盟と作ります
資金を出し合ってそのお金をデロス島という島に保管しました
そのことからこの同盟は「デロス同盟」と呼ばれます
デロス同盟の盟主(同盟の中心者)になったアテネはそこから絶好調に。
将軍ペリクレスによりアテネの民主政は最盛期を迎えます
政治の指針は成人男性全員で開かれる民会で決定し、
役人も将軍などの特別な役割を除いては抽選で選ばれ、
任期1年で「成人男性」の市民誰もが役人になれました
こうやって市民一人一人が直接政治にかかわる政治を直接民主政といいます
ただ、女性や異民族、むろん奴隷にも参政権(政治に参加する権利)は
認められませんでしたが、当時の時代にしてはだいぶ進んだ政治です
民主政も完成し、どんどんどんどん調子に乗っていくアテネはついにほかのポリスにまで
手を伸ばし、支配するようになってしまいました
こうやって力を増していく調子に乗ったアテネを黙ってみてるわけにはいかない、
とスパルタが立ち上がります
スパルタはデロス同盟に対抗してペロポネソス同盟を結成し、
デロス同盟側に戦いを挑みました(ペロポネソス戦争 紀元前431年~紀元前404年)
初めのうちは絶好調のアテネが優勢でしたが、疫病がとんでもない勢いで流行
それにより多くのアテネ市民が亡くなってしまいます
将軍ペリクレスもこの疫病で亡くなってしまい、少しずつアテネの雲行きが
怪しくなってきます
さらにアテネには扇動政治家(デマゴーグ)による
とんでもなくひどい衆愚政治(しゅうぐせいじと読む、愚かな民衆による政治)が
蔓延していきます
↑衆愚政治のイメージ
扇動政治家(デマゴーグ)とは人気を得るために嘘をつき、大げさにした噂を流し、
民衆を煽るような政治家のことです 民衆はその煽りに乗っかってどんどん良くない
方向に進んでしまいます 民主政は多数派の意見で決定してしまうので
衆愚政治に突入しやすいところがデメリットとされています
ちなみに「デマゴーグ」は「デマ」という言葉の語源です
結局アテネは敗北、ペロポネソス同盟側が勝利します
しかし、スパルタの覇権もそう長くわ続かず、前4世紀になるとテーベという
ポリスがスパルタに代わって覇権を握りました これを利用しようとしたペルシアに
そそのかされたこともあり、各ポリスはお互いに競い合うようになり神経をすり減らして
どんどん衰退してしまいます
ポリスの人々は自分たちで武器や防具を所有していましたが(重装歩兵の話)
これが裏目に出てしまいます 戦争で貧しくなった市民は金で雇われ、
自分の武器を持って金で雇われ戦う傭兵になりました
そのころのポリスにはもはや団結力なんてものはありませんでした
その機に乗じてギリシアとアケメネス朝ペルシアの中間にあり、
ドーリア系のギリシア人が住んでいた「マケドニア」という国がギリシアを制圧します
マケドニアでは王政(王様が政治を行う)が採用されており、
当時の王フィリッポス2世は前338年カイロネイアの戦いでアテネとテーベを打ち破ると
ギリシアの全ポリスにコリントス同盟(ヘラス同盟)を結ばせ自らその盟主になります、
ポリスたちに決してお互いで争わないようにさせ、マケドニアの覇権を認めさせましたあ
ただ、スパルタだけはマケドニアの指示に従わずこのコリントス同盟には
参加しませんでした
こうして、700年にわたるギリシアのポリス時代は幕を閉じました
玉ねぎ頭?ペリクレス君
休憩タイムパート2で~す
ここではアテネの有名人ペリクレスについて軽くお話ししたいと思います
でもなんか難しい話はするつもりないのでぼーっとしながら読んでください
僕も脳死で書いてます
↑ペリクレスさんの彫刻
ペリクレスはアテネを代表する偉人であり、
アテネの民主政を完成させた人物でもあります
そんな彼ですが実は生まれつき頭がとても長く、「玉ねぎ頭」と呼ばれていたらしいです
その頭を隠すためにずっと兜をかぶっており、その頭を気にしてか人付き合いも悪く
人前で笑顔を見せることもほとんどなかったそうです
玉ねぎ頭であまり笑顔を見せない、と聞くと「ちびまる子ちゃん」に登場する永沢くんも
思い浮かびます あるわけないですけどもしかしたら永沢くんはペリクレスを
モデルに誕生したキャラなのかもしれません
↑永沢くん 出典:ちびまる子ちゃんオフィシャルサイト
このように歴史を学ぶと日常生活で何かに気づける瞬間があるので
このブログをたくさん読んで勉強してみてください
さてそろそろ本編に戻りましょう 次がラストなので頑張っていきましょう
戦闘狂のアレクサンドロス
ここからはマケドニアという国のお話です
ギリシアを制圧したフィリッポス2世はペルシア遠征を計画中に
部下に暗殺されてしまい、マケドニア国内には混乱が広がります
そしてフィリッポス2世の代わりとしてマケドニアのリーダーになったのが
アレクサンドロス3世(アレクサンダー) この人が有名なアレクサンドロス大王です
↑アレクサンドロス大王の像
彼はとりあえず国内の混乱を抑えると、前334年に東方遠征に出ることにします
手始めにペルシアから始め、翌年のイッソスの戦いでアケメネス朝ペルシア王の
ダレイオス3世にあっさり勝利すると、そのまま当時ペルシアの支配下にあった
エジプトにも勝利し、エジプトを解放してあげます アレクサンドロスは英雄とされ、
エジプトからファラオ(エジプトの王、神の子とも考えられていた)の称号まで
もらいました
前331年、ダレイオス3世との最終決戦であるあるベラの戦いが起こりましたが
アレクサンドロスはこれにも圧勝 その後、ダレイオス3世は家臣によって暗殺され、
ついにアケメネス朝ペルシアは滅びました
それでもアレクサンドロスは戦い飽きることがなく、
東へ東へと、どんどん進んでいきます
そしてインダス川にも届くような大帝国を造り上げました
↑アレクサンドロス大王の勢力圏
↑東方遠征での重要都市や主な戦い(黒い線はアレクサンドロス大王の通ったルート)
1.ペラ2.グラニコス川の戦い3.サルディス4.イッソスの戦い5.アンティオキア6.ティルス7.メンフィス8.ダマスクス9.ガウガメラの戦い10.バビロン11.スサ12.ペルセポリス13.エクバタナ14.ヘカトンピュロス15.バクトリア16.サマルカンド17.パンジャブ(黄色の丸は全てアレクサンドリア)
この大帝国の中にはアレクサンドロス大王のことを祝福するために、
「アレクサンドリア」という都市が多数できました
アレクサンドリアという都市は今でも様々な国に残っています。
しかし、無理がたたったのか滞在先のバビロンで病気にかかり32歳という若さで
この世を去ります ここまではまだいいのですが、ここからが最悪です
アレクサンドロスは自分の跡継ぎについて遺言で
「まあ、最強な奴がやればいいでしょ。」と無責任なことを書いてしまいました
当然ですが、だれが最強なのかを決める後継者争いが発生してします
その結果マケドニアはプトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、
アンティゴノス朝マケドニアの3つの国をふくむいくつかの国に分裂
このいくつかの国で1番長続きしたのが、プトレマイオス朝エジプト
この国の誕生から滅亡までの時代を「ヘレニズム時代」と呼びます
ヘレニズムとはオリエントの文化が東のほうの文化と融合することで、
これによりできたのがヘレニズム文化とされています
クイズ
ここまで読んでくれた皆さんにこの記事の内容からクイズを3問出します
答えはまとめの下にあります 全問正解目指して頑張ってくださいね~
Q1:ペルシア戦争の時アテネが味方につけたポリスの名は?
Q2:ペルシア戦争後にアテネが中心となり組まれた軍事同盟の名は?
Q3:東方遠征などを行ったマケドニアの王の名は?
まとめ
おつかれさまです ギリシャの解説はいったんこんな感じで終わりにします
この記事をぜひ勉強などに生かしてもらえると幸いです
熱中症警戒アラートも出るぐらい熱くなってきてしまったので本当に体調管理に
気を付けて今年の夏も乗り切りましょう それではまた別の記事でお会いしましょう
答え↓
答え
A1:プラタイア
A2:デロス同盟
A3:アレクサンドロス大王(アレクサンダー)
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