皆さんこんにちは学生ブロガーのマロころです
今回は世界史の古代ローマをできるだけわかりやすく解説していきたいと思います
今年の夏もヤバいぐらい暑いですね 特に紫外線がすごいことになってます
そこまでひどくないと思って油断して日焼け止めも塗らずに外にいたらめちゃくちゃ
日焼けしてとてつもなく痛いです 皆さんはマジで気を付けてください
それでは早速解説に移っていきましょう
ローマの誕生
今回の舞台は下の地図の丸で囲ってある地中海あたりです
↑世界地図 丸で囲ってあるところが今回の舞台
↑ピンクのところがイタリア半島
ヨーロッパの人々にとって古代ギリシアと共通のルーツとされるのが古代ローマです
場所的には今のイタリア半島 もともとここにはギリシアと異なる言語を話し、
海商で栄えた「エトルリア人」が都市国家を気づいていましたが、
彼らに代わってラテン人がその地に都市国家ローマを建国
初期のローマは王政(王様が政治している)でしたが前6世紀末には共和政に変わります
共和政の解説 ↓
ローマにはいろいろな身分がありました まず奴隷、次に貴族(パトリキ)、
さらに平民(プレブス)が存在し、
貴族と平民には驚くぐらい大きい格差が開いていました
平民は参政権(政治に参加する権利)が認められない一方で貴族は終身議員となって
最高議決機関である「元老院」を独占します
任期1年で2人選ばれるコンスル(執政官)や
非常時に大権委任(非常時に特別な権利が与えられるということ)されたディクタトル
(独裁官)も貴族からのみ選ばれる、というひどい状況でした
イタリアの「ピッツァ」
休憩タイムパート1です~ イタリアと言えばやっぱりピザのイメージがありますよね
バジル、モッツァレラチーズ、トマトソースでイタリアの国旗の色を象徴している
マルゲリータとかチーズがたっぷりあるクアトロフォルマッジとか…
おいしいのでけっこう僕は好きです
ここではピザに関する豆知識をみなさんに紹介していきたいと思います
世界一長いピザ:世界一長いピザは2017年に作られ、全長1.93キロメートルもあったそう
食べるの辛そうですね
世界一高いピザ: ルイ13世という名前のピザは、シェフが特別に作る予約制のもので、
約12,000ドル(約130万円)もかかるらしい
ところで皆さん「ピザ」と「ピッツァ」の違いってわかります?
調べてみるとほんの少しだけ違うことがわかりました
ピッツァはイタリア語の「pizza」の正しい表記で
ピザはそれを日本語表記したものらしいです
またピッツァはナポリピッツァやローマピッツァなど、
地域ごとに異なるスタイルがあり、生地は薄く、厳選されたシンプルな材料
(トマト、モッツァレラチーズ、バジルなど)が使われます
それに対して日本やアメリカなどで見られるピザは、イタリアのピッツァに影響を
受けながらも、その国独自の進化を遂げています
例えば、アメリカでは厚いクラストや豊富なトッピングが特徴です
日本でも様々なトッピングが使われており、例えば海鮮や照り焼きチキンなど、
日本独自のバリエーションがありますね あと、作り方にも若干違いがありました
まとめると「まあ『ピッツァ』と『ピザ』には一般的に使われる表記や
スタイルなどの違いがあるけど結局のところそんなのどうでもよくて両方とも美味しい」
ということですね これ書いてたらピザ食べたくなってきました
というわけでまた次に行きましょう
平民のパワーアップ
先ほど書いたように貴族の力が強いローマですがギリシアと同じように
平民が重装歩兵として国防に参加するようになると
それにともなってグングン力を得ていきます
まず、前5世紀前半に平民のみで構成される「平民会」ができると、
前494年、平民会の意見を国政に反映させるため、コンスルや元老院に拒否権を持つ
「護民官」が誕生します この護民官は文字通り平民を守るために平民が行う役職です
さらにギリシアのように慣習法(これまでの法律)を自分の好きなように解釈して
悪いことをするヤツを取り締まるために慣習法の成文化(明文化ともいう、わかりやすくはっきりと書き直すってこと)が行われます
この法は12枚の板に記されたことから「十二表法」と呼ばれます
さらに前367年護民官のリキニウスとセクスティウスによって
リキニウス・セクスティウス法が定められ、2人のコンスルのうち1人は平民から
選ばれるように。前287年には、ディクタトル(独裁官)のホルテンシウスが
ホルテンシウス法を定め、平民会の決議(法律など)は元老院の承認なしで
直接国法になることが可能になりました つまり、国政では平民が貴族にならんだ、
ということです ホルテンシウス法により内部でのいざこざはひと段落します
余裕のできたローマは外に目を向け、外国との戦争へと進んでいきます
海外との争い
ローマは重装歩兵でネアポリスと呼ばれた現在のナポリなどのほかのラテン人や
エトルリア人、ギリシア人によって作られた植民市を制圧し、
前3世紀前半にはイタリア半島をほぼ統一してしまいました
そして、征服したところを支配するために「分割統治」という方法が使われます
↑分割統治のイラスト解説
分割統治ではまずローマは征服した都市の一つ一つと個別に同盟を結びます
その際に各都市を植民市、自治市、同盟市の3つのうちのどれかに分けます
そしてその都市に応じて格差をつけ、与える権利にも差をつけることによりローマに
征服された都市たちの団結を防ぎました
そんな風に着々と領土を広げていくローマですが、それに立ちはだかる国が現れます
その国の名前はカルタゴ 地中海を挟んでローマのちょうど向かい側の
アフリカ大陸に存在した国です このカルタゴは海洋国家で地中海の西側の制海権(海を支配する権利)を手中に収めていました
ローマが領土を広げていこうしたことにより利害が衝突し、
地中海の通商と制海権をめぐって戦いに突入します
この戦争は「ポエニ戦争」といわれ、前264年から前146年までの約120年間に
3回に分けて繰り広げられました
第1次ポエニ戦争は前264年、そこではローマが勝利し、ローマは初めての外国領土である
シチリア島を手に入れます 第2次ポエニ戦争は前218年、この戦いではカルタゴの英雄
「ハンニバル」が参戦してきます
↑ハンニバルたちの進路
ハンニバルはイベリア半島(スペインやポルトガルがあるところ)から地中海沿いを
なんと象に乗って陸路でローマへと向かい、冬のピレネー山脈、アルプス山脈を
越えて北イタリアに侵入
さすがにローマも驚き手も足も出せず、
カルタゴはローマに大打撃を与えました ですがローマはなんとか持ちなおし、
コンスルも務めた軍人の大スキピオたちがカルタゴの本土を攻撃し、
前202年のザマの戦いでローマが勝利。 カルタゴはその翌年に降伏しました
ちなみにこの第2次ポエニ戦争は「ハンニバル戦争」とも呼ばれているんですが、
そのハンニバルは敗戦した後、外国へと逃げて、自ら命を絶ってしまいます
一方ローマは西地中海の覇権を握り、現在のスペインのあたりを
自分たちの領土にしました そして、第3次ポエニ戦争は前149年、
ローマがカルタゴを徹底的に破壊して終わります
こうして約120年間にわたって繰り広げられたポエニ戦争は完全に終了しました
カルタゴに勝利したローマはそのままの勢いでセレウコス朝シリアや
プトレマイオス朝エジプトなどのヘレニズム諸国
さらにはマケドニア、ギリシアも征服し地中海全域をほぼ制覇します
しかし、戦争の疲れが出てきてたのか少しずつ力が弱まっていきました
度重なる戦争により農地が使い物にならなくなり中小農民が働けなくなってしまう一方で
新たに出てきたエクイテスと呼ばれる騎士階級が征服地である「属州」で徴税請負(ちょうぜいうけおい、徴税(税を集める)を国の代わりにやること)や
土木事業の管理などで金を稼ぎ、貴族は戦争に勝ったことにより得た属州と奴隷を
フルで活用し、大農場経営(ラティフンディウム)を成功させ
ますます金持ちになっていきます
そして働くことが難しくなった農民たちも何とか作物を作りますが属州から
ラティフンディウムによる安い作物が大量に入ってくるせいで価格競争に負け作物が
全く売れなくなってしまい無産市民(ここでは貧乏という意味)になっていきました
この無産市民の多くは働くやる気をなくし「パンとショー」を要求してくる怠惰な人たちと
なってしまいました
クイズ
ここまで読んでくれた皆さんにこの記事の内容からクイズを3問出します
答えはまとめの下にあります 全問正解目指して頑張ってくださいね~
Q1:ローマの最高議決機関の名前は?
Q2:第2次ポエニ戦争の時ハンニバルたちは何に乗って攻めてきた?
Q3:ポエニ戦争後、貴族が行った奴隷を使い農業をすることを何というか?
まとめ
皆さんお疲れ様です 今回は古代ローマの初めのほうを解説してみました
ここらへんの内容だと休憩タイムで書けるようなことがあまりなかったので
今回は1つしかありませんでしたが、次からはまたバンバン増やしていくんで
楽しみにしておいてください それではまた別の記事でお会いしましょう‼
答え↓
答え
A1:元老院
A2:象
A3:大農場経営(ラティフンディウム)
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