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古代ギリシア~‼100%理解できるようにわかりやすく解説 エーゲ文明~ポリス編

歴史

 

 

皆さんこんにちはマロころです

最近ニュースで聞いて驚いたんですけどインドは5月の時点で49度あるそうで。

年々地球温暖化が進んで溶けそうなぐらい熱くなっているのでみなさん熱中症には

気を付けましょう そんな話はさておき今回は古代ギリシャについてまとめてみたいと

思います とんでもなく長くなりそうなので2記事に分けて投稿したいと思うので

そちらの記事もセットで読んでくれると嬉しいです

今回は覚えること多くてわけわかんないと思うんですけど繰り返し読めば

8割ぐらいはわかります 多分。というわけで早速解説に移りたいと思います

 

エーゲ文明

今回解説するのはギリシア、下の世界地図のマークされているところです

 

 

ギリシアの先史時代ともいえるエーゲ文明の解説をしていきたいと思います

特に栄えたのは前2000年ごろから前1400年ごろまでで、この文明の人々は

青銅器を扱っていました

エーゲ文明は何個かの文明を合わせたものの総称で前期と後期に分かれているので

一つ一つ解説していきます

 

クレタ文明(前期エーゲ文明)

まず、一つ目の文明は前エーゲ文明のクレタ文明です

この文明が栄えたのはクレタ島という細長い島で、クレタ文明で有名なのは

イギリス人考古学者のエヴァンズさんが見つけたクノッソス宮殿というところですね

クノッソス宮殿はかなり大きめの宮殿なのですが周りに城壁はありません

つまりクレタ文明の人々はかなり平和で穏やかな暮らしをしていたということです

ちなみにクレタ文明にはギリシア神話に登場する伝説の王ミノスにちなんでミノス文明、

ミノア文明という別名があります この別名を付けたのも考古学者のエヴァンズさんです

さらにエヴァンズさんはクレタ島でクレタ絵文字、線文字A、線文字Bの3つの文字を

発見しました

クレタ文明はこんなもんなので「こんな文明あったんだ」ぐらいの認識でOKです(*`д´)b

 

 

 

ミケーネ文明トロイア文明(後期エーゲ文明)

後期エーゲ文明は2つの文明のことでギリシャ本土で繁栄したのがミケーネ文明、

小アジアの方で繁栄したのがトロイア文明です ミケーネ文明から解説していきます

ミケーネ文明の諸国では国王が民に農作物や特産物、家畜、武器などの様々なものを

貢がせていました これを貢納王政(こうのうおうせい)といいます

ミケーネ文明の巨大城塞には頑丈な城門が造られていました

クレタ文明と違いミケーネ文明は様々な外敵に脅かされていたことがそこからわかります

そんなミケーネ文明の敵の一つがトロイアです トロイアはトロイア戦争で木馬に入って

相手の城内に忍び込む「トロイの木馬」という逸話が有名です

↑トロイの木馬のイメージ

ちなみにこのトロイアという都市長い間神話上の都市としか思われていませんでした

ですが、シュリーマンという男性は幼いころからトロイアがあると信じ続け、

彼の生涯をかけた発掘によってトロイアが実在するということが証明されました

この話は努力すれば夢はかなうという教訓話として有名です…が、

このシュリーマンは金持ちの道楽者だったのではないかと近年彼の評価にも疑問が

投げかけられています 実際のところシュリーマンがどういう人物だったのかは

今となってはわかりませんが、少なくとも貧困から企業に成功し、トロイアの遺跡を

発見しその存在を証明したことは紛れもない事実なのでいったんおいておきましょう

ミケーネ文明に話を戻すと、前1200年ごろミケーネ文明の諸国は滅びてしまいます

原因としてはギリシア人の一部(ドーリア人)が南へ移動したことや「海の民」の

攻撃などが考えられます ここからしばらくのことはよくわかっていません

だからこの空白時代はギリシアの暗黒時代と呼ばれることに。

この暗黒時代のギリシアの人々は使う方言の違いから

イオニア人・アイオリス人・ドーリア人の3つに分けることができ、

そしてこの人々が造る都市によりギリシアの黄金時代が造られていくことになります

 

 

都市国家(ポリス)

 

前8世紀ごろギリシアには多くの都市国家(ポリス)が成立します

ポリスでは人々がアクロポリスという城山を中心に集住(シノイキスモス)しました

都市は城壁に囲われていて人々はアゴラという広場で政治や経済活動を行いま

各ポリスは協力することもあれば争いあうこともありました

多種多様なポリスが存在しましたが、共通点も見受けられます

例えばどのポリスでもギリシア語がつかわれていたこと、

ギリシア神話の神々を崇拝していたことなどが挙げられます

各ポリスには貴族、平民、奴隷がいました

全てのポリスで民主制が採用されていましたが

当初は貴族の力がとても強く、平民の政治への参画は認められませんでしたが、

平民が自分で武具をそろえ重装歩兵(詳細はアテネの解説のところで)として戦争で

活躍し始めると平民から「戦ってやってんだから政治に参加させろ-!」

という意見が出てきて平民も政治に加わることができるように。

こうして貴族と平民からなる市民による民主制が行われるようになりました

特に平民と貴族との間に差別はありませんでしたが裕福で自らの命を懸け国に

貢献する貴族は優遇や尊敬を受けました

一方奴隷には人格が認められず売買もされていました 人身売買はよくないですね(-_-;)

市民の多くはくじで分配されたクレーロス(持ち分地)と呼ばれる私有地で

奴隷を使い農業をして生計を立てました 手工業や鉱山で金を稼いだ人もいたそうです

↑クレーロス(持ち分地)のイメージ

 

とってもおいしいギリシア料理‼

休憩タイムです 今回はギリシアの料理を紹介したいと思います

その前にギリシア料理について軽く解説しますね

ギリシア料理は様々な国の影響を受けながら独自の食文化を生み出してきました

野菜や海の幸を使った料理が多く、日本人の舌によく合う味だそうです

反対に肉を使った料理は少なめです

それでは有名なギリシャ料理をここで一つ紹介しておきたいと思います

その名も「イェミスタ 」(γεμιστά / gemista)です

出典:wikipedia

これは野菜を容器として使用し、中に具材を詰めてオーブンで焼いたものです

ピーマンの肉詰めに似ていますね

具材にお米が入っていることもあり、僕たち日本人も食べやすいものになっています

ぜひ現地へ行ったときに食べてみてください

頑張ればご家庭で調理することも可能かもしれません

これ書いてる時にふと思い出したんですが、ピーマンと生卵を一緒に食べると、

苦くなくなるそうです 自分で試したことないので本当かわからないですが、

ピーマンの苦みが苦手な方は試してみてはいかがでしょうか

子供の嫌いな野菜ランキング第1位はピーマン、その理由の大部分はあの苦みにあると

思います、ですので生卵ピーマンはこれからの野菜の常識を変えるものに

なるかもしれません

話がそれまくりましたが休憩タイムは終わりです それでは本編に戻りましょう

 

スパルタとアテネ

ここからはギリシャの中でも代表的なポリス、アテネスパルタの2つについて

解説しようと思いますまずはスパルタから。

スパルタでは少数のドーリア系のスパルタ人がその10倍の数の非ドーリア系の人々を

支配していました スパルタがどういうポリスなのかを一言で表すなら

「力で支配し、奴隷を活用した自給自足」という感じですね。

スパルタには農業に従事させた奴隷「ヘイターロイ」と商工業に従事させた奴隷

ペリオイコイ」の2つの奴隷がいました 「ペリオイコイ」のほうはときどき

反乱を起こしました。それをスパルタは力でねじ伏せようとするため、

強力な兵隊が必要になります。そこで、男女問わず幼いころから厳しい軍事訓練を

民に受けさせることに。この教育の方法が「スパルタ教育」と呼ばれます

よく厳しく指導する人のことを「スパルタだなあ。」なんて言ったりもしますけど

それのもととなっているのがこのスパルタというポリスですね

スパルタは平地が多く、穀物の自給自足が可能だったので

他国との貿易はあまりしませんでした

ちなみに「スパルタ教育」などのスパルタの制度を定めたのは

「リュクルゴス」という人です

スパルタの人はすごい真面目なのでこの制度をずっと守っていきます

そのおかげで強固な軍制が完成しました

次はアテネを見てみましょう アテネではもともと貴族が国防や政治を行っていましたが

時代が進むと平民も国防に参加できるようになります

この時期ギリシア人はいろいろなところに植民市を造りました

(例えばフランスのマルセイユやイタリアのナポリ、トルコのイスタンブールなど。)

アテネの市民はこう言ったところとの貿易で稼ぎまくり、

自分で武器や防具を持って戦いました。それまでの時代の戦いは

主に馬に乗りながらでしたが、平民が加わるようになり甲冑や兜を身に着け長槍を持った

重装歩兵が隙間なく整列した密集隊形(ファランクス)で戦うのが主流になっていきます

これを重装歩兵によるファランクスなんて言ったりします

↑重装歩兵によるファランクスのイメージ

 

ここからはアテネの政治について長々と話すので「そんなの聞きたくねえよ~‼」って

思った方は頑張って読んでください

アテネの政治を形作ったのは主に5人の人物です

1人目はドラコン、この人は前7世紀後半にそれまでの法律をしっかりと

決めなおしました(慣習法の成文化)これにより法律を都合よく解釈して悪いことを

行う人たちに歯止めがかかりました

2人目はソロン、ソロンは前6世紀の最初のほうの人です

↑ソロンの像

 

貴族と平民の格差をなくすために頑張りました

最初に財産政治の改革から始めます。家柄によって参政権が与えられていたのを

その人の財産額に応じて4つの階級に分け、

その階級に応じて参政権が認められるようにします

さらに、市民の借金をすべて帳消しにし、人々が債務奴隷

(借金があってめちゃくちゃ困る人)になるのを防ごうとしました

ですが結果的には貧しい人はさらに貧しく、金持ちはさらに金持ちになり格差は

広がるばかりでした ちなみにソロンはこの後紹介するペイシストラトスが一人で

政治を行うようになるとペイシストラトスに失望してアテネを去ります

そして3人目は先ほど少し触れたペイシストラトスです

この人は貧しい人たちに絶大な人気がありました

この人気を利用してペイシストラトスは民主主義のふりをした独裁政治を行う

「僭主」として活躍します(一応民主主義だが、大多数がペイシストラトスの仲間なので

実質独裁政治、こんな感じで市民から絶大な人気を得てほぼ1人で政治を行うのが僭主)。

 

 

 

独裁政治をした、なんて聞くとなんか悪いことしてそうに感じますが、

ペイシストラトスはそんなことありませんでした

農民を保護、商工業者を守り、文化事業にも力を入れました

ただ、ペイシストラトスがなくなり息子のヒッピアスが僭主を継ぐと、

ヒッピアスはとことん役に立たず、ただわがままを言う暴君になります

そして、このヒッピアスを追い出し、政治を立て直してくれたのが4人目の

クレイステネスです 前6世紀末貴族出身のクレイステネスは、

スパルタの力を借りてヒッピアスを追放します

さて、ここからこの人も改革を始めていくことに。アテネでは血統関係で

4つの部族に分けられ、それぞれが生活していましたが、部族関係なくアテネを

10個のデーモス(日本でいう都道府県)と呼ばれる区域に分け地域単位で

政治をしていけるようにします

そしてこの人の政治で最も代表的なのが「陶片追放」(オストラシズム)です

これはさっき一瞬出てきたヒッピアスのようなひどい僭主を防ぐための予防策で、

僭主の台頭を防ぎます

この陶片追放の仕組みは、まず市民に僭主になりそうな人の名前を陶器の破片に

書いてもらいそれを集計し合計6千票を超えた人物がいた場合、

その中で1番得票数が多い人を10年間国外に追放する、というものです

 

↑陶片追放のイメージ

 

結構ひどくないですか?この陶片追放っていうシステム、選挙に出れない、

とか活動をさせない、とかでいいのにわざわざ国外にやるのはかわいそうだと思います

少し経つと、この制度は自分のライバルを追い出す事もできるので、

悪用されるようになり、陶片追放は前5世紀末に中止されました

どんなに素晴らしい仕組みもいずれ悪用されてしまうのは世の常な気がします

最後の一人はペリクレス、この人は直接民主政

(国民が直接議会に行き、話し合いながら政治を行う、というもの)を始めます、

これによりアテネ民主政は完成しました

ペリクレスや直接民主制に関する解説はもう一つの記事でしっかりと書いてあります

スパルタ、アテネ、この2つのポリスについてはしっかりとおさえておきましょう

 

クイズ

今回の記事からクイズを3問出します 全問正解目指して頑張って下さい

答えはまとめの後にあります

Q1.国王が民に農作物や特産物、家畜、武器などの様々なものを貢がせる政治のことをなんていう?

Q2.スパルタの農業に従事した奴隷のことを何というか?

Q3.クレイステネスが行った陶器の破片に僭主になりそうな人物をかかせ票が多かった人物を国外に追放する制度を何というか?

 

まとめ

いや~お疲れ様でした。多分一回読んだだけじゃわからなかったと思うので

ぜひ繰り返し読んで頭に叩き込んでください。最近学校の行事が多かったり、

この記事に書くことをまとめるのに以上に時間がかかってたので

なかなか投稿できませんでしたがこれからは結構投稿できると思います。

目指せ週1以上投稿ですね。みなさんも熱中症などの体調不良やケガに

気を付けてお過ごしください それではまた別の記事でお会いしましょう。

 

 

答え

A1.貢納王政
A2.ヘイターロイ
A3.陶片追放(オストラシズム)

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