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【世界史】古代オリエントについてわかりやすく解説‼気になるところ総まとめ

歴史

みなさんこんにちは、学生ブロガーのマロころです

今回は世界史の古代オリエントについてまとめてみました

全然わかんない‼複雑すぎでしょ

オリエント?なんだそれ?

と思っている方もいると思います

 

しかし、この記事を読めば

全部わかる‼世界史って面白~い

となると思います

できるだけわかりやすくまとめてみたのでぜひ最後まで見ていってください

 

 

そもそもオリエントって何?

オリエントとはヨーロッパから見た「日の昇るところ」という意味の言葉です

今の中東地域あたりのことですね 下の地図で丸で囲ってある場所です

今回の舞台はこのオリエントです

 

 

メソポタミア文明

さて、まずはオリエントの中心部ティグリス川とユーフラテス川の流域、現在のイラクあたりで

栄えたメソポタミア文明のお話です 「メソポタミア」は川と川の間という意味があります

メソポタミアではイスラーム世界で今も使われている太陰暦や六十進法、占星術、印章などを

発達させました

「肥沃な三日月地帯」なんて呼び方もされることもあるこの地域ですが、その名の通り

年間降水量が多く、作物もたくさん採れます

下の地図の茶色のところです

 

↑肥沃な三日月地帯

 

この地域では楔形文字を作ったシュメール人(シュメールというのは葦の甥地方を意味します)の

都市国家ができたことをきっかけに様々な民族、国家が幾度となく興亡しました

ちなみに円を360度と定義したのもこのシュメール人だとされています

 

そしてみなさんご存じの「目には目を歯には歯を」のハンムラビ法典は、前18世紀ごろに

メソポタミアを統一した古バビロニア王国の王ハンムラビ王が作ったものです

広い地域を支配するためにこういったルールが必要になりました

この古バビロニア王国はバビロンを都とした初の都市でもあるのでバビロン第一王朝とも

呼ばれています

ですが、古バビロニア王国は前16世紀ごろ鉄器を使うヒッタイトに滅ぼされてしまいます

さらにそのヒッタイトも前12世紀に海の民という謎の集団に滅ぼされてしまいます

余談ですが、うちの部活では先生に向かって「ハンムラビ法典」とばれないようにごまかしながら

あいさつするのが少しはやっています

コツは「ㇵンㇺㇻヴィフォーテーン」のように早口で発音することです

話が少しそれましたが、何はともあれオリエントの統一は一旦白紙に戻りました

 

↑ハンムラビ法典

 

メソポタミア文明の世界遺産 「ウルク」

ここで少し休憩タイムパート1です いったん世界遺産を見て癒されましょう

パート1で紹介するのは「ウルク」です

このウルクはイラクにある世界遺産で、前5000年ほどから人が住んでいたとされる古代都市です

約5万~8万人が住んでいたとされ、当時は世界最大規模の都市でした

人口は現在の栃木県日光市と同じくらいですね

ちなみにイラクという国名はウルクからきているという説もありますね(真偽は不明です)

 

出典:世界の歴史マップ

 

それでは休憩タイムパート1は終わりです 続きに行きましょう

 

古代エジプトの王朝

一方、「エジプトはナイルの賜物」なんてことわざもあるくらいにナイル川の氾濫に支えられた

エジプトではファラオ(王)という絶対的な力を持った人たちを中心に文明が発展していきます

メソポタミアなどとも違って地理的に開けていなかったので独特な文化を持ったまま

王朝の入れ替わりなどが進んでいきます

前3000年頃にノモスと呼ばれる集落がメンフィスを中心に統一され、

マケドニアのアレクサンドロス大王によって征服される前4世紀までエジプトでは

約30個の王朝が交代します。その中でも特に栄えた時代を

古王国・中王国・新王国の3つに分けられます

  • 古王国時代(前27世紀~前22世紀)・・・ピラミッド時代
  • 中央国時代(前21世紀~前18世紀)・・・遊牧民のヒクソスが侵入してくる
  • 新王国時代(前16世紀~前11世紀)・・・ヒクソスを追い出して成立

古王国の首都はメンフィスと呼ばれる地域で

王は現人神(神が人の姿となって出てきたという考え)とされました

このころのエジプトは多神教で様々な信仰がされました その中でも特に信仰されたのが

太陽神ラーです 王はラーの子供であるとされファラオと呼ばれました

「ファラオは神様だ」という考えを根拠に政治が行われました

このような政治を神権政治といいます 古王国時代はピラミッドが作られた時代でもあります

有名なギザのピラミッドが作られたのは古王国時代です

中央国時代の首都はテーベでこの時代になると遊牧民ヒクソスがエジプトに侵入してきます

新王国時代はそのヒクソスを追い出してからのことです 新王国時代の初めの首都は

中央国時代と同じテーベです

ここで登場するのがアメンホテプ4世という一人のファラオです

このアメンホテプ4世さん、いろいろな大改革を行います

このころ、テーベでは守護神アモンを信仰することが流行っていました

それが嫌だったアメンホテプ4世はまず首都をアケト=アトン(今のテル=エル=アマルナ)に

移動させます さらに多神教を廃止し、唯一神アトンを信仰することを強制します

つまり、アトン以外を崇めるのを禁止したのです

さらにさらにアメンホテプ4世は自分の名前も「アトンに愛される者」という意味の

イクナトーンに改名しちゃいます この人ヤバいですね

このアメンホテプ4世の次のファラオがエジプトの“顔”ともいえるツタンカーメンです

彼はとても病弱で10歳という若さでファラオになると、19歳の時に病死してしまいます

ちなみに先ほどメソポタミア文明の解説で出てきたヒッタイトはシリア方面にも進出してきました

前1286年ごろ、それを知ったエジプト軍はカデシュ(シリア)に向かいますが

エジプト軍の背後からヒッタイト軍に奇襲されました、

エジプト軍は何とか持ちこたえ、援軍とともに戦いました

これが「カデシュの戦い」です 結果的に勝負は引き分けとなり、

両国は平和条約を結ぶことになりました これは世界初の国際条約と言われています

エジプトは学問のレベルも非常に高く、1年を365日とする太陽暦や普段僕たちが行う数え方の

十進法、測地術などが発達しました

さらには文字まで作られました エジプトで作られた文字は3つで、

1つ目は絵文字から変化した承継文字である神聖文字(ヒエログリフ)、

2つ目はこの神聖文字を簡単にした神官文字(ヒエラティック)、3つ目は神官文字を

民衆が理解できるようにさらに簡単にした民用文字(デモティック)です

いかにエジプトが高い学力を持っていたかよくわかりますね

 

 

ツタンカーメンの呪い ※真偽不明

休憩タイムパート2です 今回は2つのことを紹介したいと思います

一つ目は「ツタンカーメンの呪い」です

まず、ツタンカーメンは18歳のころに病気で亡くなってしまい、

「王陵の谷」という場所に葬られます ピラミッドに葬られたわけではないので注意です

そして時は流れ、1922年、イギリスのハワード・カーターという考古学者がツタンカーメンの

お墓を発見しました カーターは支援者のカーナボン卿も呼び、一緒に発掘作業をしました。

その5か月後、カーナボン卿が病死してしまいます。その後もカーターの関係者が続々と

亡くなり、「ツタンカーメンの呪い」として世間を騒がせました

 

↑ツタンカーメンの黄金のマスク

 

エジプトの代名詞 「ギザの3大ピラミッド」

休憩タイムパート2後半です

ここでは世界遺産「ギザの3大ピラミッド」を紹介していきたいと思います

みなさんも見たことぐらいはあるんじゃないでしょうか

かなり有名な世界遺産ですね その名の通り3つの大きなピラミッドのことです

それぞれ軽く解説していきます

 

クフ王のピラミッド・・・時期ははっきりとしていませんが前2700~前2500年の間に

作られたのではないかと言われています

つまり今から4000年以上前に作られたピラミッドですね

現在の高さは138.5メートルで、世界で最も高いピラミッドです

カフラー王のピラミッド・・・現在の高さは136メートルです

頂上には化粧席が残っているのが特徴的です

メンカウラー王のピラミッド・・・現在の高さは62メートルで、ほかの2つのピラミッドと

比べると、半分ほどの大きさです

 

↑ギザの3大ピラミッド

人生で一度は生で見てみたいですね それでは続きに行きましょう

 

アッシリアとアケメネス朝

話をオリエントに戻しましょう

先ほど解説したように一度白紙に戻ったこの地域では、フェニキア人などが活躍し、

アルファベットの起源となったフェニキア文字が開発されたりしました

それでも1000年ほどオリエントは統一されてきませんでした

ですが前8~前7世紀ついにエジプトを含め、オリエントが統一されることになります

その国がアッシリアです しかし、過度な支配のせいで滅亡します

その結果、エジプト、メディア、リディア、新バビロニア(カルデア)の4国に分かれました

ですがこのアッシリア、文化的な功績は大きく、首都に建てた大図書館などが有名です

 

↑分立した4国 よく見えないけど白い四角形の下にはインドがある

 

というわけで4つの国がかなり広い範囲に分立しました

そしてこの4つの国を統一し、世界帝国と呼ばれるまでに成長する国がアケメネス朝ペルシアです

ちなみに○○朝△△と書かれる場合、○○は王朝名でその王朝を創始したり支配したりしている

一族の名前や、王朝を象徴する名前が入ります △△にはその国が成立していた地域や

王朝の発祥地の名称が入ります 今回のアケメネス朝ペルシアの場合は

「アケメネスを始祖とする一族がペルシア(今のイランあたりの地域)興した国」ということです

話を戻すと4国が分立していた時代、メディアに支配されていたペルシア人たちは

少しずつ「独立して自分たちの国を作りたい。」という思いが募っていき、

ペルシア人たちは独立運動を始めていきます

その結果、前550年ペルシア人たちはキュロス2世の下でメディアを滅ぼし独立します

こうしてアケメネス朝ペルシアはできました

キュロス2世の息子であるカンビュセス2世の代になるとエジプトに侵攻し、

第27王朝を打ち立てます ダレイオス1世の時代には東はエジプト、西はインダス川の西岸まで

土地が拡大しました このダレイオス1世、マジでとんでもない人物です

まず、ダレイオスさんは全国を約20個の州に分けます(日本でいう都道府県)、

そこにサトラップ(知事)を派遣します さらに反乱などが起きないか全国を見張るために

王の目、王の耳と呼ばれる監察官も巡回させました

さらにさらにダレイオスさんは経済にも精通しており、良質な金貨や銀貨の発行、

国の税制を整えたり、交易を保護したりするなど経済を発展させ、財政の基礎を作りました

さらにさらにさらにアッシリアの反省を踏まえ、自分たちが征服した民族にも優しくしました

さらにさらにさらにさらに王の道という国道も作りました

この王の道、とてもすごいんですよ 駅伝制が整備されていて、数キロメートルごとに

駅を設置しそこで伝令の交換や、休息、馬の乗り換えなどを可能にし、より早く物資や情報を

伝達できるようになっていました しかし、ダレイオス1世の前に強大な敵が立ちはだかります

それが遊牧騎馬民族スキタイ人と、当時民主制を謳歌していたギリシアの都市国家群です

このギリシアとアケネメス朝ペルシアはペルシア戦争を行います

ペルシア戦争はダレイオス1世の息子クセルクセス1世の代まで続きますが

結局アケメネス朝ペルシアはギリシアに敗北してしまいます

 

↑アケメネス朝の前に立ちはだかるギリシアのイメージ かっこいいですね

 

この敗北がきっかけとなりサトラップの反乱が始まり中央の力が弱まります

そしてアケネメス朝はダレイオス3世の時代にアレクサンドロス大王によって滅ぼされます

こうして世界帝国とも呼ばれたアケメネス朝ペルシアは滅亡してしまいました

 

 

ユダヤ教とヘブライ人

さて、話を少し前に戻しましょう

ヘブライ人と呼ばれる人たちのお話です ヘブライ人は現在のパレスチナあたりに前1500年ごろ

から定住します 一部のヘブライ人はエジプトに移住しました

このエジプトに移住した人たちはエジプトの圧政に苦しめられます

そんな状況からヘブライ人を救ったとされるのが預言者モーセです

そしてこのモーセとヘブライ人がエジプトから出てカナンの地(今のパレスチナ)を目指す

というのが「旧約聖書」の「出エジプト記」に書かれていることになります

旧約聖書について語り始めるとキリがないので今回は割愛します

気になる方はこちらの記事をチェック旧約聖書の解説&有名エピソード4選‼

なんやかんやでヘブライ人はパレスチナに移り住み、イェルサレムを首都とするヘブライ王国を

建国します ヘブライ王国で有名なのはダヴィデ王やソロモン王などの人物です

ですがこのヘブライ王国は分裂して2つの国に分かれます 北側がイスラエル王国、

南側がユダ王国です イスラエル王国は前722年にアッシリアに滅ぼされます

また、残ったユダ王国も新バビロニアの支配下に置かれます

前586年には住民の多くは新バビロニアの首都バビロンに強制移住させられます

このことをバビロン捕囚といいます

約50年後、アケメネス朝ペルシアによって新バビロニアが滅ぼされると

彼らは故郷に帰ることが許されました

そうしてイェルサレムに戻ってきたヘブライ人により、ユダヤ教が確立されます

ヘブライ人のそれまでの苦労のせいかユダヤ教は「自分たちだけが特別な民族で、

唯一神ヤハウェに救われるんだ。」という選民思想や、救世主(メシア)待望思想を特徴と

する宗教になりました

ちなみに旧約聖書はキリスト教の聖典でもあります

それほどユダヤ教はキリスト教と深い関係にあるので覚えておいてください

 

↑モーセのイメージ

 

エジプトの文化

休憩タイムパート3です

今回はエジプトの文化を紹介していきたいと思います

宗教

  • イスラム教: エジプトの人口の約90%がイスラム教徒であり、イスラム教はエジプトの憲法で国教に指定されています。その他、エジプト土着のキリスト教会であるコプト教会の信者もいます。
  • お祈りとラマダン: イスラム教徒は夜明け前からお祈りをし、ラマダンの影響で夜型の生活が一般的です。

 

↑イスラム教の聖地メッカの様子 すさまじい人数が集まっています

 

食文化

    • 主食: アエーシと呼ばれる薄いパンが主食で、ソラマメをつぶしたディップや焼きナスのピューレと一緒に食べます。また、オルズというジャポニカ種の米もよく食べられます。
    • 副菜: 豆や野菜を使ったヘルシーな料理が多く、スパイスもよく使われます。トマトも多く使われており、日本人にも食べやすい味です。

エジプト料理で有名なのは「コシャリ」です コシャリはエジプトの国民食ともされます

米、マカロニやスパゲッティなどのパスタ、ひよこ豆、レンズ豆をミックスし、

揚げた玉ねぎとトマトソースをかけた料理で、カルと呼ばれる酢と、

シャッタと呼ばれる辛味ソースをかけて食べる料理です

材料は大まかには同じですが、現地では同じ味はない、と言われるほど

様々な味があり奥深い料理です

 

↑コシャリ おいしそうですね~

 

生活文化と習慣

  • 時間感覚: エジプト人は朝食を11時ごろ、昼食は夕方5時から7時にとることが一般的です。時間に大らかな点もあり、深夜12時を超えても起きている人が多いです。
  • 会話の距離感: エジプト人は人との距離感が近い傾向があり、会話の際にボディタッチも多いです。
  • 食事のマナー: 食事に塩などの調味料を足すのは侮辱と受け取られるため、注意が必要です。また、左手は不浄の手とされているため、食事は右手を使います。

僕自身左利きなので左手を食事で使えないのはだいぶ厳しいですね

 

クイズ(全3問)

ここまで学んだことのクイズです 答えはまとめの後に全部書いてあります

わからなかったら記事を振り返りながら解いてみてください

 

Q1:メソポタミア文明の有名な楔形文字を作った人たちのことをなんと言うか

Q2:エジプトで作られた3種類の文字をすべて答えよ

Q3:ヘブライ人がバビロンに強制移住させられたことをなんと言うか

 

 

まとめ

いや~、結構長い記事になっちゃいましたね すみません

ですがある程度は頭の中に残ったんじゃないでしょうか

少しでもこの記事がみなさんの役に立つことができれば幸いです

この記事を書くためにエジプトについていろいろと調べたりしてたらめちゃくちゃ

エジプトに行ってみたくなりました

もし、読んでくれた皆さんの中に「エジプトに行ったことがあるよー‼」という方がいれば

ぜひ僕にエジプトのこといろいろ教えてください

それではまた別の記事でお会いしましょう

 

クイズの答え↓

Q1:シュメール人 Q2:神聖文字、神官文字、民用文字 Q3:バビロン捕囚

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